心の履歴SHOW

幼少から小学時代

両親がおとなしいので私も生来おとなしい性格なのだが、近所に同い年やちょっと上くらいの悪ガキどもがいっぱいいたのでそいつらと一緒に外で遊びある一面は子供らしくわんぱくなこともしていた。でもそれは周りの環境がそういう奴等ばっかりだったから。実は一人で家にいる方が好きでした。小三の時地域の同じ丁目の遊び仲間達から突然無視をされた。私がいつものように遊びに行くと「おお、○○(私のこと)」と一人の子が声を掛けてくれた(その子は素直でいい子)が別の悪い子(その子は性格がズルイ子だった)が「あ、○○(声掛けてくれた子の名前)だめだよ」と言ってみんな話してくれなくなった。私が来る前にみんなで私について会議をしていたらしい。みんなにシカトされた私は仕方なくそのまま家に帰った。しばらくの間無視は続いた。どうして私が無視されたか理由は私がみんなとあまり遊ばないからだと思う。そういうようなことを友達から聞かされたことがある。私はみんなと外で遊ぶのより家でテレビを見たり一人で遊ぶのが好きな昔から内向的な子供だった。とにかく私はみんなと遊ぶより一人でいる方が好きだった。みんなと遊んでいるとそろそろ解散しようかという話になって、私はうれしくて帰ろうとすると「やっぱり遊ぶべ」と誰かが言いだして私は帰りたくて仕方なかったので帰ろうとすると、私を帰らせないようにみんなで自転車で逃げる私を捕まえる遊びをされたことがある。また、私は学校が終わった後一緒に帰ろうという友達のラブコールに応えず、一人で帰ることが多かった。それであまりに私が一人で帰ろうとするものだから友達が私を一人で帰らせないようにと捕まえられたこともある。ある時近所の子たちと遊んでいて、別に遊んでいた女子たちとちょっとした口論になった(子供の痴話喧嘩みたいなものである)。おとなしい私は人の悪口を言ったり罵ったりするのが苦手だった。その時は兄もいて兄もおとなしい性格で苦手だった。兄弟二人何も言い返せないでいた。そしたら仲間から「○○兄弟こういう時になるとおとなしくなっちゃーんだに」と言われたことがある。小学校の高学年くらいからいろいろな子にいじめられはじめた。同じクラスや他のクラスで私のことをよく知らないはずなのに私のことをわざわざいじめる子もいた。そろばん塾でもいじめられた。クラスの子から「○○って陰気だね」って言われたことがある。また「おとなしくなりたかったら○○を見習おう!」とふざけて言われたこともある。ほんとにおとなしい暗い子供だった。小学六年の家庭訪問では先生に私が学校でいじめられていると親に告げられ、先生から「俺も子供の頃はいじめられていたからお前も頑張れ」と言われ余計な励ましを受けた。親は私がいじめられていたことを知らなかったと思う。家では元気な子供だったからな。子供はみんな元気なものだけど。こんなことを親にばらされ赤っ恥をかかされた。いじめられることって日本では恥ずかしいことなんですかね?。私はこの時自分がいじめられてることを親にばらされたのを恥ずかしく感じました。


中学時代

地獄の始まりだ。その地獄は現在まで永遠と続いている。中学から早くも俺の人生は狂いだした。クラスメイトからいじめを受ける。卓球部の部活の先輩からもクラスとは別にいじめを受ける。「やめろよー、やめろよー」と言っても決してやめてくれなかった。俺をいじめてた奴から「俺お前の事人間だと思ってねーに」と言われたことがある。先輩曰く私を見ると「なんかむかつく」らしい。小学の頃からそうなのだが要するに私はいじめられっ子であり、どこに行っても誰からにでもいじめられる運命なのであった。天性のいじめられっ子である。おとなしくて背が低い私は何処に行っても子供のいじめの対象としてはお手頃だったのである。いかにも“弱そうな奴”に見えたと思う。部活の先輩からはどんなにいじめられても俺は絶対に泣かなかった。私のことを「絶対に泣かねーんだにな」と言っていた先輩もいた。どんなことしても絶対に泣かないのが憎らしいのらしい。でもそれが逆にいじめをエスカレートさせた。他にいじめられた後輩がいてそいつはいじめられて泣き出すとその場から解放された子もいた。泣いただけで解放されてうらやましいと思った。でも俺はどんなことをされても絶対に泣かないものだからますますいじめられた。部活の先輩からの陰湿かつ壮絶ないじめにただひたすら耐えてきたがついに耐え切れなくなって中一の三学期をもって私は部活を辞めた。本当は卓球は続けたかったのにいじめの為に辞めた。卓球は一年ではレギュラーに入れるくらいうまかった。未来のレギュラー候補だった。悔しかった。でもこれで先輩からのいじめからは解放された。よかった。でも仕方ないよ。どんなに精神力の強い人だって部活に行くたびに毎日毎日あそこまでいじめられたら誰だって辞めたくなるよ。なかには死にたいと思う人もいるかもしれない。俺はよく我慢して頑張ったよ。先輩は私が辞めてしまったことでいじめる人がいなくなってしまってさぞかし寂しく残念に思ったことでしょう。俺だけをみんなして集中していじめていたからな。ざまあみろ。いなくなってはじめて俺のありがたさがわかったか!。先輩は俺をいじめることでストレス発散していたと思うからな。また辞められてはじめて私に対して申し訳ない気持ちが芽生えたかもしれない。いじめている最中は申し訳ない気持ちなんて微塵もなかったろう。悪魔のような存在だったからな。運動部である卓球部を辞めたことで親から怒られた。どうして辞めたのかも理由を散々聞かれた。でも俺は決していじめられたから辞めたとは言わなかった。言えなかった。親を悲しませたくなかった。俺のプライドもあった。親は私が学校でいじめられていることを知らない。『桐島、部活やめるってよ』じゃないけど私が卓球部を止めたことは卓球部の中ではちょっとした騒動になった。私は卓球部の中ではいじられキャラみたいな立ち位置でちょっとした人気者だったし。それに卓球も上手かったし。毎日のように辞めた理由を友達から聞かれた。そんなこと言いたくないのに。辞めた理由を聞かれるのが本当に嫌だった。私は辞めた理由を聞かれる度にはぐらかしてちゃんと答えてなかったと思う。私が辞めた理由をみんなから聞かれまくったのは私がどうでもいい部員じゃなかったから。どうでもいい部員だったらそんなことは聞かれない。でも同級生の少年からのいじめは依然として残っていた。今でも俺をいじめた奴がたまに夢に出てくる。それくらいいじめられた経験は今でも完全にトラウマになっている。このトラウマは一生消えないだろう。中学に入学して間もなく私の席の周りの人全員が私のことを「暗い」と言い始めた。みんなから毎日のように「暗い暗い」と言われ続けた。私のことを「暗い」と言うことが私の周りの席の人たちの間ではちょっとしたブームになった。そんな感じでみんなして私のことをいじって遊ばれた。中一までは普通のおとなしくて暗めの子だったが、中二で新しいクラスになって仲のいい友達と一人も同じクラスになれなくて時間が経っても新しい友達が出来なくて前にも増してさらに真っ暗な子に変身した。ちょうど中二くらいが自我が形成される頃であり私の根底に眠っていた根暗さがいよいよ顔を出してきたのだと思います。「○○一年の頃は明るかったのに二年になったら暗くなっちったんだに」と言われたことがある。クラスメイトから「○○って暗いね」と言われて、私は何と答えていいかわからなかったので「うん」とうなずいてしまったことがあります。時は根暗の全盛期。タモリが根暗という言葉を流行らせ暗い奴は「ネクラネクラ」とからかわれていた時代であった。またこの時期は「オレたちひょうきん族」などのテレビ番組の影響でネクラ族とネアカ族に分かれていた時代でもあった。もちろん俺はネクラ族。もっとも俺は「オレたちひょうきん族」を好んで見ていたんだけどね。根暗という言葉はタモリが言いはじめる前は日本には存在しなかったのではないかと思う。日本の「根暗」の訳に相当する英語が存在しないのと同じ様に。ある時クラスで席替えがあって私と隣りになった女子が私の隣りじゃ嫌だと言い出した。クラスメイトがどうしてなのかとその子に聞くと耳元でひそひそ話しで耳打ちして理由を説明していた。すると聞いた人が口に出してしまって「暗いからだって」とみんなの前で発表されてしまった。中二の三者面談で先生から「おとなしすぎる」と注意された。クラスに友達がいないことをばらされ、どうしたら友達ができるかとかそんなことを延々と言われて親の前で赤っ恥をかかされた。中二からはじめての神経症である赤面症発覚。クラスメイトに顔が赤いとからかわれて指摘され赤くなってる顔をみんなに見られるのが恥ずかしくて赤い顔がさらにますます赤くなった。あの頃は高校に入るまでには治るものだと信じ込んでいたがもちろん治るわけがない。普段友達がいなくて誰とも話せないけどいじめられることによって誰かにかまってもらえるのでいじめられることをちょこっとうれしくも感じていた非常に妙な感覚に無きにしも非ず。まあどっちにしても地獄だな。いじめ地獄と孤独地獄。クラスメイトは多分いや絶対俺に生まれなくてよかったと思ってたと思う。でも勉強はできた優秀でクソまじめな子でした。毎日学校に行くのが嫌で毎朝吐いていたことを思い出す。でも中学の三年間一日も学校を休んだことはありませんでした。あの頃は偉かったな(笑)。


高校時代

中学時代が暗かった分、絵に描いたような青春時代を過ごすと決意して入学した高校だが自分が想像していたものとは全く正反対の暗い青春時代になりました。今から考えれば俺がそんな青春ドラマのような高校時代など送れるはずないのに、客観的に見て。でもあの頃は夢があったのである。バカだ(笑)。当然高一高二高三全てスクールカーストは最下層でした。ダサ男でした。決してイケてる感じの(当時の)今風の高校生ではありませんでした。女子と楽しそうにお喋りしている男子を横目に当時思春期の超シャイで奥手だった私は女子とは全くと言っていい程話せませんでした。「○○ってほんと女子と喋らないよね」って言われたことがある。それに対して「俺駄目なんだよ」と答えたことを覚えている。喋らないじゃなくて喋れなかっただけだ。本当はこんな俺でも女子と話して楽しい高校生活を送りたかった。高校に入りたての頃他の高校に行った人達と電車の中でバッタリ会った。その時私も同じ中学から同じ高校に行った人達と一緒にいた。他の高校に進んだある人から「俺知ってんだに。○○だけ仲間外れになってんだよ」とズバリ指摘されたことがある。図星だった。確かにその通りだ。同じ中学から同じ高校に行った仲間の中では私が一番みんなに溶け込めていなかった。高校では友達も少なくいわゆる暗い奴(くれーやつ)でした。クラスメイトから「暗すぎるよ」と言われたことがある。私が当時流行っていた志村けんの「だいじょぶだぁ」というギャグを言ったら、「お前がだいじょぶだぁって言うと何か変だな」と言われた。何で変かというと私のような普段暗い奴がギャグを言ったから。そういうキャラじゃないもんな。中学くらいまでは子供だから暗い奴でもギャグを言うが高校くらいになると暗い奴はギャグを言わなくなる。暗い奴は暗くしてなくちゃいけないんですか?。美術の時間で誰が号令をするかジャンケンで負けた人がやることになった。俺はジャンケンで負け続けて最後の二人まで残ってしまった。最後の一人の相手の人が俺が相手とわかった時「おー」と既に勝ったかのような雄たけびのような声をあげてガッツポーズをされた。おとなしくて体が小さい俺はジャンケンも弱そうに見えたのだろう。こいつになら勝てると。結局そのジャンケンは俺が勝った。私が友達にホワイトスネイクのCDを貸したら他のクラスメイトが「これ○○のだって。笑っちゃーな」という会話が少し離れたところから聞こえた。当時流行最先端のハードロック・ヘヴィーメタル系の音楽のCDをダサい俺が持っていたのが滑稽だったのだろう。ダザい奴が最新流行の音楽聴いてちゃいけないんですか?。ダサい奴はダサい曲聴いてないといけないんですか?。高校二年の遠足の時みんなで電車に乗った。その電車の座席は横の席じゃなくて縦の4人で向かい合わせになるような席だった。俺はいち早く座席に座った。そしたら誰も俺の隣に座ろうとしない。みんな言葉には出さなかったけど「誰か座れよ」って感じだった。それで一人が促されるように俺の隣に座った。俺の隣が嫌とは言えず嫌々座った感じ。俺はそいつとはあまり喋ったことがなかった。そいつは通路を挟んだ向こう側の連中の方を向いてそっちの人間とばかり喋っていて、俺に背を向けて俺の方を向いて俺と喋ってくれなかった。向かい合わせの席には友達が座っていたか覚えていない。たぶんいなかったと思う。仕方なく俺からそいつに話かけるが会話が長続きせず、目的地に着くまで俺は一人孤立した状態になりほとんど喋れなかった。神経症はますます悪化。高二からは赤面症に加え対人恐怖、視線恐怖の症状も表れる。国語の時間の朗読などで声が震えた。自分がこうなってしまうなど信じられなかったし信じたくなかった。授業の時指されるのが恐怖で自分の出席番号と同じ日は指されるとわかっているので何度かずる休みをしたことがあります。今よりもひどい症状の神経症だった為普通の高校生活を送ることさえ困難でした。洒落になってないな。


浪人時代

思い出したくない空白の時。半ひきこもり状態の宅浪でした。勿論友達は一人もいない。テレビと音楽だけが僕の友達、僕の味方。他人と接触していなかったので予備校やバイト先で孤立したとかそういうエピソードもない(読者の皆さんつまんなくてごめん)。とにかく何もない空虚な青春の時期だった。


大学時代

今までの人生が暗かった分、大学生になれば明るい青春時代を過ごせると思い込んで入学したが、それも虚しくまたもや当然のように暗い青春時代を過ごすことになる。入学したての頃はみんながはじめて顔を合わす人同士で私のことをよく知らないのでまんまと同じゼミの一つのグループの中に入る。「私がこんなにたくさんの友達と話せるなんて夢のよう」と思う。しかし普通は時間が経てばみんなと馴染んでどんどん仲良くなっていくと思うが、私の場合逆に時間が経てば経つ程化けの皮が剥がれ次第に人との間に大きな溝ができてしまう。なぜなら私は"人を寄せ付けない何か"を持っているからだ。その"何か"とは何か、永遠のテーマである。ちゃっかりグループに紛れて食事をしても明らかに私だけが浮く。グループで私が先頭で歩いても誰も隣りに来てくれない。一年の前期の最後の方にはそのグループの中にも入れない空気になって独りになる。そう、最初思ったことはやはり夢だったのである。私は孤立した。最初に友達作りに失敗した時点で俺の大学生活は早くももう終わったと思った。人生に絶望し自殺願望が生まれはじめる。友達がほとんど出来なくて、朝学校に行って夜アパートに帰るまで一言も話せないこともしばしばありました。アパートに帰っても一人暮らしなので結局誰とも話せないのだが。そういう時はそれはそれはつらかったですよ。あなたにはわかりますか?このつらさ。あなたには耐えられますか?(自慢してどうする(笑))。講義に出るのも一人、学食で食事をするのも一人、みんなワイワイガヤガヤ楽しそうに食事してるのに俺だけは一人(はっきり言ってこの状況は惨めで恥ずかしく屈辱です)、食事を終えたら図書室に直行(どうだ参ったか!)。「生きてても何の意味もないじゃん」と思った。たまに友達と一緒に講義に出ていると「え〜、友達いたのー!」とわざとらしく後ろから女生徒の声が聞こえた。「あの女殺してやる」と密かに思うが誰が言ったのかわからない。私はキャンパスでは友達がいないことで有名人だったようでみんなからバカにされていました。講義に出るのも食事をするのも一人だったのでとくかく目立つ存在だった。みんなは集団にまぎれているのでわからないがこっちはいつも一人なので浮いてて逆に目立った。小さな大学だったのでだいたいの生徒と顔見知りみたいなものでした。百歩歩けば顔見知りに当たるみたいな。その中でこんな状態だったから同じ学年なら名前は知らずとも私の存在はほとんどの人が知っていたと思う。マンモス大学で俺みたいな人がいたら空気のような存在になれて誰にも気付かれることなくひっそりと卒業あるいは中退かも知れないが、私の大学みたいな小さなアットホームな大学だとみんなと顔見知りみたいな状態なので目立つのである。名前は知らないけど「いつも一人でいる人」という印象だったと思う。大学ではとにかく浮いた存在でした。学食で私が一人で食べる姿などは大学名物の見世物のような状態だったと思います。「あの人また一人で食べてる」みたいな。特に女学生。明らかに人を小馬鹿にしたような目で鼻で笑うような感じでいつも僕を見て隙あらば殺してやろうと思う女もいた。図書館だけが僕の居場所でした。大学時代はダウン症という知的障害者のボランティアをしたことがあります。自分を磨きたかったから、誰かの役に立ちたかったから、彼らから何かを学びたかったから、生きている実感が欲しかったから。書生さん達は18〜30歳位。彼らは決して不幸ではない。彼らは自分の障害を認識しているのかいないのか施設内ではとても楽しそうで目は輝いている。それに対して自分の目はどれ程死んでいることか。施設内でピクニックなどさまざまなイベントがあり家族でいろんなところに行っている。それに対して私は友達がいなく誰ともどこへも行けない。私の居場所は自分の部屋だけだ。彼らは健常者より、より強い親の愛情を受けている。バカな子ほどかわいいじゃないけど、親は彼らに普通の子より多く手をかけなければならず、その分より多くの愛情を注ぎ子を自分の所有物のように愛する。私はそういう彼らをうらやましくさえ思った。私はこういう性格なので勿論彼らに慕われてはいなく結局私にはなついてくれなかった。私は「彼らに対して何もしてあげられてないのではないか」、「自分は何の役にも立っていないのではないか」というような疑問が生じてきて失意の内にボランティアをやめた。障害者に負けたと思った。自分は障害者以下の存在だなと思った。市内の障害者施設が集まった運動会で動物の着ぐるみを着て、障害者の子供たちと上手く遊べずに殴る蹴るなどめちゃめちゃいじめられたのも思い出だ。私は学生時代二年間マクドナルドでアルバイトをしていました。これは大学を卒業してアルバイトを辞めてから聞いた話ですが、バイト仲間から「○○さんみんなに嫌われてたんだよ!知ってた?」と言われたことがあります。「どうして?」と聞くと「暗いから」だそうです。バイトでは確かに浮いていたしみんなから嫌われてたのはわかっていましたが改めて言われると凹みます。私は誰からにでも好かれない性格だから。みんなで楽しく会話している間に私が入っていくと突然しらけて会話がストップしてしまうことがあります。会話止めマンなんちゃって。俺には人を(場を)暗くする力がある。そんな大学生活でしたが超頑張って4年で無事大学を卒業。大学にほとんど友達のいなかった私はみんなが普通にやっているような友達とのノートの貸し借りや情報交換などもできず、さらに大学も休みがちだった私には卒業するのに必要な単位を取るのは本当に大変でした。キャンパスの外でもたくさんの(苦い)思い出ができたので、別に大学を恨む気持ちはありません。学校にアルバイトに勉強に就職活動に恋愛に毎日悩み苦しみ、とにかく毎日が一生懸命でした。これも一つの青春だったのか?。


社会人時代から現在

私は人間関係が苦手で仕事もできなくてすぐに会社を辞めてしまい会社を転々としています。辞めた会社は数え切れないくらい多い。十数社にはなるだろう。会社を辞めるとまたすぐに別の会社を探さなければいけないので面接した会社は100社を超えると思う。ちなみに私は面接が大の苦手である。自称さすらいの旅人。また、不器用でトロくてのろま、ぐず、どんくさい、物覚えが悪く要領が悪いので何をやっても仕事ができない究極のダメ人間。それに一日10時間は眠らないとそこがどこであろうとすぐ眠くなるという睡眠障害もあります。毎日のように仕事中居眠りをして毎日のように怒られていました。でもこれは病気なのでどんなにキツく怒られても治りません。キツく怒られた次の日にはもう居眠りしているという状態だったので、自分でも申し訳ないやら悔しいやら情けないやら悲しいやらどうしようもない気持ちでした。人生に悩み催眠療法のところに行くが効果が感じられずすぐに挫折。その後メンタルクリニックに行くことにやっと気づいて薬を飲み続けています。精神安定剤と坑うつ剤を処方されています。うつの薬はもう何種類も飲みましたがあまり効果は感じられません。でも精神安定剤は効くような気がします。私にとって精神安定剤デパスは神のような存在です。もう薬なしでは生きていけない。アスペルガー症候群の疑いもあり。自分の社会性の無さはアスペルガー症候群なんじゃないかと疑い出した私は担当医に聞いてみたが担当医は「アスペルガー症候群の患者は見たことがないのでわからない。しかしその可能性はある」と言われた。「本当にアスペルガー症候群か調べたかったらもっと大きな病院で診察してもらってください」と言われた。私は仕事や人間関係などほとんど全てのことで時間が経ってもあまり慣れるということがない。適応できない。いつまで経ってもできない。進歩がない。だからどこに行ってもあきれられる。これはアスペルガー症候群の特徴の一つです。前に付き合っていた女の子から「話がつまらない(そういうお前はおもしろい話出来んのかよと俺は声を大にして言いたい)」、「バカにしている」というような屈辱的なことを言われたことがあります。とてもショックでした。私はみんなからバカにされ見下されているから。みんな俺のことをバカにして見下したくて仕方ない。別に意識的にバカにして見下したいのではない。無意識にだ。人間の本能のようなものだろう。それが俺にはわかる。私は今まで会社やアルバイトをいろいろ変えてきたがその度に前からその職場で働いている人から「新しく入って来る人ってどういう人なんだろう(わくわく)」と期待され、入って来た奴が暗くてつまらなくてコミュニケーションも仕事もできない奴だったのでみんなからがっかりされる奴が俺だ。会社では飲み会の席が大の苦手でした。みんなと話せずにいつも一人でポツンとなる。でも強制参加なので一人だけ出ない訳にはいかない。会社でほんとは1人で食事に行きたくないのにみんなと一緒の食事は苦痛なので1人で食事に行かなくちゃならない。ほんとはみんなとコミュニケーションとりたいのにコミュニケーション能力がないからいつも1人になって「あいつは人と喋らない」とか「協調性がない」とか「わがままだ」とか陰口たたかれる。ほんとはコミュニケーションしたいけどできないだけなのにみんな私のことを理解していない。理解してくれない。わかってくれない。というか普通の人には私のような性格の人のやっていること考えていることが理解できないのであろう。世間の大多数を占める普通の明るい人から見たら俺は普通じゃないからな。みんなに「あいつはおとなしい奴」「喋らない奴」というレッテルを貼られて何か冗談を思いついたとしても言い出せない空気になっている。あの空気の中で私が冗談を言ったら変だ。不自然だ。「えっ?」とか思われる。だから今自分の思っていること感じたことを何も言えなくなってさらにおとなしくてつまらない奴になる。そういう悪循環になって永遠にその状況から抜け出せない。自分の個性が殺されている感じ。ほんとはおもしろいこと考えてるのに、こんなにもつまんない奴じゃないのにみんな俺のことわかっていない。と言ってみたが考えてみるとやっぱり俺つまんない奴だわ。今まで学校では「暗い」、会社では「おとなしい」「元気がない」と言葉を変え言われ続けてきた人生でした。俺のこと「おとなしいおとなしい」ってうざいんだよ!。おとなしいことがそんなに悪いのかよ。もう「おとなしい」って言われ飽きました。僕は誰からも相手にされない。誰も僕のことを相手にしてくれない。友達が一人もいない。孤独。自分から友達になりたいと言っても必ず断られる。相手にしてくれない。「友達ってなりたいと言ってなるものじゃないんじゃないの?」と言われたこともある。そんなこと言われたって私に自然に友達ができることなんてあり得ない。誰も相手にしてくれないんだから。だいち人から友達になって欲しいなんて一度も言われたことがない。なぜなら私は"人を寄せ付けない何か"を持っているからだ。その"何か"とは何か、永遠のテーマである。私は何とも親しみ難い暗いオーラを放っていてあんな奴の相手なんかしたくないと思わせる雰囲気をかもし出している。これが私の運命なのか?。暗い。性格が暗い。見た目が暗い。中身も暗い。表情が暗い。雰囲気が暗い。なんか暗い。なぜか暗い。なんだかわからないけど暗いということだけは間違いない。いかにも暗い。とにかく暗い。とことん暗い。いくらなんでも暗すぎる。暗いオーラがある。人を引きつけない天性の暗さを持つ。自然に暗い。ナチュラルに暗い。無理してないで暗い。暗さに無理がない。暗さに全く不自然さがない。当然のように暗い。俺が暗いというのは定説なんです!。普通に暗い。天才的に暗い。何やっても暗い。確かに暗い。間違いなく暗い。本当に暗い。圧倒的に暗い。相当暗い。悲しいまでに暗い。絶望的なまでに暗い。俺の暗さは天性のもの。俺の暗さは持って生まれたもの。人類史上最も暗い男。世界で一番暗い奴。この世で一番暗い奴。暗さ世界一の男。暗さは俺一人で成立する。暗い天才。こいつは本物だ(暗い本物)。俺はアルティメット・ネクラ・ウォーリアー(究極の根暗戦士)だ!?。KING OF NEKURA(根暗王)は俺だ!。根暗の王様。暗い王様。うちは父、母、兄、俺全員おとなしい性格です。遺伝子レベルから内向的なのでもう救いようがありません。生まれながらのネクラエリート。ネクラサラブレット。何も悪いことしてないのにただ性格が暗いっていうだけで今までどんなに人に嫌われてきたことか。ただ性格が暗いっていうだけで・・・。俺が何したっていうんだよ?。人はみな、明るくて元気でなければいけないという価値観はおかしいと思う。人は明るくて元気でなければいけないって誰が決めたの?。暗くて元気がない人がいたっていいじゃないか。私が今まで会社や学校でどんなに辛い思いをしてきたか筆舌に尽くし難い社会は俺には厳しすぎた。俺は社会の荒波に溺れた。俺は社会に負けた。必死に戦ったが負けた。社会というものは弱者を容赦なく叩きのめす。人生そんなに甘いもんじゃない。身に染みてわかった。俺には社会に適応する能力はない。完全に負け組。今まで経験した嫌な思いをした記憶を思い出してしまってどうしようもない気持ちになることがあります。その私が会社や学校で経験してきた何とも言えない嫌な状況が今でも頻繁に夢に出てくる。今までの人生自体がトラウマだ。今は無職のひきこもりやってます。社会に出たのはいいが結局社会に適応できずに挫折してひきこもりになった典型的な挫折型ひきこもり(つまずき型とも言うらしい)。戦意喪失。今まで頑張りすぎたんだな。あれ以上頑張れって言うの?まだ頑張りが足りないの?死ぬまで頑張らなきゃいけないの?。もう人生に疲れました。ほんっと疲れた。もうどうにでもなれ。全て無くなってしまえ。

こんな人がサークルの主宰者なんかやっちゃっていいんですか?
いいんです。

たんぽぽ死すとも根暗は死せず
根暗万歳!(自爆)

俺はー存在したー(あなたは存在しましたか?)

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