内向人間とは

・ユングは
心理学者のユングは人間の性格を内向的、外向的の二つの態度と思考、感情、感覚、直感の四つの機能、計八つのタイプに分類しています。外向的な人は自分から対象へと意識の方向が向いていて、対象から自分へと無意識の方向が向いている。これとは逆に内向的な人は対象から自分へと意識の方向が向いていて、自分から対象へと無意識の方向が向いている。

・本多信一は
内向人間について多数の著書のある本多信一氏はその著書の中で内向人間について次のように述べています。「私たち内向型人間は男女ともに、神経質で内気だ。過敏な神経を持ち、先行きへの不安感を抱いている。時にはそれが対人恐怖、被害妄想へと発展し、ノイローゼ、神経症と判断される場合もある。」「内向型人間とは、生のエネルギーが内へ内へと向かう人ゆえ、まずは生涯の殆どの時間は、しんみり、ひっそり、といった人々をいう。明るくしているのは一種の演技で、大体はブルーな気分で日を過ごす人々のことだ。」

・内向と外向
自分の性格が外向なのか内向なのかということを考えるときには、「自分は果たして他人に気に入られたいのか、あるいは他人に気に入られるよりもたとえ気に入られなくても自分の考えのほうが大切なのか」ということをじっくりと考えてみるとよいと思います(内向的な人は逆に自分が他人からどう思われてるか気になって仕方ないという人も多い)。要するに外向と内向とは、関心が自分の外に向かっているのか、それとも自分自身の内側の世界に向かっているのかという違いなのです。外向的な人はまわりの人や物に対して反応が早く、概して要領がよくてうまく立ちまわれるのに、内向的な人は周囲の影響をひとつひとつ自分の心の中に引き入れて、それからゆっくり態度にだすので得てして反応が遅い。現代は早いもの勝ちの外向の時代なので、どうしても反応が早く積極的で要領がよく社会に順応していける外向的な人の方が得である。そこで内向的な人はますます消極的になり引っ込み思案となって周囲に誤解され、ぐずだののろまだの陰口をたたかれて損である。しかし、我々内向人間は少しも劣等感を持つことはない。なぜならあなたが間違っているわけではなく、たまたま現代の傾向とあまり合わないだけの話だからである。一般的には内向=ネクラということになるようです。根暗と言われてウン十年。根暗は悪いことじゃない!。外向的な人はまわりの人の目や評判を気にする傾向が強い。例えばファッションなんかも外向的な人は人の目を気にして他人と異なることを恐れ画一化していく。内向的な人はあまり人の目や評価は問題にしないので世間に流されずに個性的なファッションになることが多い。また、症状で言うと対人恐怖、鬱など神経症の人は心が内向している為内向的な人が多い。対人恐怖、鬱だから内向という訳でもありません。内向人間は粘着気質であることが多い。

・良い性格と悪い性格
「あの人は明るくて外向的だから良い性格で、私は暗くて内向的だから悪い性格なんです」というセリフはよく聞かれるものかもしれません。この場合、この人の中には「良い性格」と「悪い性格」のカテゴリーがあるようです。しかし本当にそうなのでしょうか。同じような要素でも受け止め方によって肯定的にも否定的にもなります。たとえば「自主性があって積極的」という特徴は「自己中心でわがまま」になり得るし、「暗いし、内にこもってしまう」という特徴は「落ち着いていて洞察力がある」と言えるかもしれません。性格を考えるときは、柔軟性を持って幅広くとらえる必要があります。自分で悪い性格と思い込み、自己嫌悪してしまっては、良い人間関係も生まれてきません。ナルシストのように自己愛的になるのは良くありませんが、まず自分の内にあるものを見つめ、自分自身を受け入れることが、自信を持って自分らしく生きられるようになる秘訣なのではないでしょうか。

・外向至上主義社会
この世の中は内向人間よりも外向人間の人の方が多い。全ての権力は外向人間によって掌握され我々内向人間は肩身の狭い思いで日々を過ごしていかなければなりません。外向至上主義社会と言っていいでしょう。例えば飲み会などで、「ほらほら君全然喋ってないよ!ノリ悪いなーもっと盛り上がらきゃダメじゃん!君暗いよ!」などど今風のノリや外向を強要する人は私とは種を異にする妖怪のやうに思われます。寒気がしてきます。ブルブル。よく喋るお喋りでうるさい人から「何で喋らないの?喋ればいいじゃん」と言われ喋れない人は喋れないかから喋らないということを喋れる人は理解できない。世間には人は明るくなくちゃだめというような傾向があります。小学校低学年の通知表なんか「はきはきしている」というような項目があってそれで優劣がつれられます。はきはきしている−元気がある−明るい−優れている。はきはきしていない−おとなしい−暗い−劣っている。つまり明るい人は優れていて暗い人は劣っていると価値判断されてしまうわけです。しかも学校の成績として出てしまうんです。持って生まれた性格に優劣がつけられてしまうのですから内向的な人にはたまりません。

・オタクと内向人間
オタクの人は確かに内向的だがたんぽぽ広場で言うところの内向的とはちとタイプが違う。オタクの人はそのマニアックな趣味が求心力を持ち実はオタク同士で仲間や友達ができる。友達は少ないかもしれないが必ず仲間や友達はいるのである。完全に内弁慶なのであるが仲間同志の結束は固く内輪では楽しく人生を謳歌しているのである。まさに“類は友を呼ぶ”である。それに対してたんぽぽ広場で言うところの内向的な人はおとなしくて友達ができにくい。自分と似たような友達をなかなか見つけることができないのだ。普通の人から見たらオタクの人は危なくて敬遠され相手にされないがおとなしい人は悪い意味で注目される。相手にもされないオタク、標的にされる内向人間ということが言えよう。私も学生時代他のグループや女生徒には全く相手にされていないが、内輪では楽しそうなオタクの人達をある意味うらやましいと思ったものである。

・内向人間は自閉症の縮図形
自閉症とは生まれ持った脳の障害ことであり性格のことを言うのではありません。有名人がテレビなどで「昔、自閉症だった」と述懐する人がいますが、これは誤りです。健常者で自閉症のような傾向のある人は自閉的と言うべきでしょう。自閉症は3歳までに、人とのやりとりの関係がうまく形成されないような対人関係の相互交渉の質的な障害(社会性の障害)、コミュニケーションの障害やことばの遅れ、こだわり行動、以上、3つの領域での障害がある場合に診断されます。自閉症の症状は、他者との関係性やコミュニケーションがうまくとれないこと、特徴的なくりかえし的な行動やこだわり行動などによって特徴づけられます。一般的な「暗い」とか「人を避ける」というイメージは実際の自閉症を示す内容ではありません。感情を上手く表現できない高機能自閉症の若い女性を扱った「君がおしえてくれたこと」というドラマでは主人公の女性に多々共感する部分がありました。高機能自閉症とは知的障害は伴わなくて知的レベルは高く特異な才能を発揮することも多い。一見「普通」なため、それが症状であるのに「わがまま」とか「わざとやっている」といった誤解を生みやすく、理解されにくいところがあります。内向人間も普通の性格の人は我々の性格を理解できないで行動が「わがまま」とか「自分勝手」ととらえられてしまうことってありますよね(実際それはわがままなんだけど)。私はこれらの自閉症の症状は内向人間の特徴と非常によく似ていると思います。内向人間の対人関係能力の欠如、不器用さなどは自閉症とまではいかなくとも自閉的であり、私は内向人間は自閉症の縮図形のような感じだと思っています。我々は社会適応障害という一種の障害者なのかもしれません。

・内向人間
このように現在の外向人間旺盛の時代に合わずに人間関係の中でうまく泳げない人達が内向人間です。私は内向的人間、内向型人間など内向的な性格の人をまとめて“内向人間”と呼んでいます。自分自身のことは内向的だとは思いますが内向型だとは思ってません。だからサークル名も「おとなしい内向的な人の為のサークル」であって内向型という言葉は使っていません。言葉の問題ですが内向型と“型”にはめてしまうのはどうかと思うからです。人は誰でも内向的な部分と外向的な部分やいろんな面を持っているのでそう安易に型にははめられないと思います。型に分けて考えてしまえばわかりやすいのですが。本多さんのように内向型と言っている人もその辺は重々承知の上で便宜上内向型と言ってるのだと思います。私自身の定義の中では内向型は内向的の中に含まれます。内向的というのはより広い意味で使っています。内向的な人の中でもより内向度の強い人が内向型になります。私が自分のことを内向型だとは思っていないんだから内向型の人は本当に数少ない少数民族だと思います。私のことを内向型と言ってしまったら真性の内向型人間に申し訳ないような気がします。たんぽぽ広場には内向的人間と内向型人間どちらの内向人間にも来てもらいたいと思っています。でもたんぽぽ広場の会合に来る人は別に人嫌いではなくある程度社交的な内向人間であり、本当に真性内向型人間はたんぽぽ広場の会合にも来れないような人のことだと思います。

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